7月16日、我が家の長女であるナナが亡くなりました。
15歳と2ヶ月。
元気いっぱい!という訳ではなかったナナだけれど、本当に急で。
思い出すと結構辛いものがあるのですが、彼女の頑張りを忘れないため・心の整理をするためにもブログに残しておこうと思います。
食欲がない
亡くなる2週間ほど前から急に食欲がなくなり、わたしとオットは試行錯誤していました。
とにかく食べれるものを、ということで色んな種類のウエットフードを試してみたり、手作りごはんにしてみたり。
大好きだった納豆もほんの少ししか口をつけず。
元々偏食でしたし、年齢も年齢なので(15歳)、ご飯に飽きてきたのかなあなんて思っていました。
しかし食べないと生きていけないので、食べられるものを常に探している状態。
ひき肉や鶏肉、牛肉を炒めたり茹でたり。
液体状やソーセージ状の総合栄養食を与えたりもしました。
ですが昨日食べてくれたものは今日食べてくれないなど、一進一退の日々。
そして1週間経つともう全く何も食べなくなってしまい、強制給餌で少しづつ介護食を与えることになりました。
急な咳
そろそろ病院に行こうかとオットと相談していた7月12日の夜、ナナの咳の回数が増えているのが気になりました。
年始に患った誤嚥性肺炎は完治し辛いということだったので、もしかしたらぶり返してしまったのかもしれないと思い、翌日病院へ連れていくことに。
そして翌日。
昼前までは家の中をウロウロしたり子猫にキレ散らかしたりといつも通りのナナでしたが、お昼を過ぎてから呼吸が早くなりあまり動かなくなりました。
夕方に仕事終わりのオットに車に乗せてもらい、急いで病院へ。
いつもはハードキャリーの中でキュンキュン鳴くのにそれもなく、ぐったり寝たまま。
病院での受付が終わり診察を待っている間にナナが急にひきつけのような発作を起こしたので、優先的に診てもらいました。
レントゲンを見ると誤嚥性肺炎ではなく、歯からの炎症で肺炎を起こしているということ。
そして血液検査の結果は全体的に悪く、特にアルブミンの数値は1.1。
先生から「正直生きているのが不思議です」と言われました。
入院させる決断
選択肢としては
- 入院してアルブミンを上げる点滴を打ち、手術に耐えられる数値になればすぐに抜歯手術
- 連れて帰ってそのまま看取る
のふたつしかありません。
もちろん即決で入院を決めたわけではなく、すごく悩みました。
入院させればほぼ100%死に目に会えない。
でも連れて帰れば死に目に会うことは出来る。
治療してもらえばもしかするとまた元気になってくれるかもしれない。
連れて帰るということはその可能性を潰してしまう。
そう思ってわたしはナナに入院してもらうことにしました。
もっと一緒に居たいというより、少しでもこの子のしんどさを取り払ってあげたい一心でした。
面会での奇跡
面会に行ってもいいということを知らず、入院3日目の朝に先生から電話で「ぜひ面会に来てあげてください」と言われました。
先生からすると何てひどい家族だと思われたことでしょう。
午前中は検査をしていてバタバタしているので、午後からならいつでも大丈夫とのことでした。
午後診が始まるとすぐに面会に行き、先生に血液検査の結果を見せてもらいました。
2日目の白血球の数値は計れないほどで、この2日間ずっと酸素室でぐったりしたまま動かない状態だったそうです。
アルブミンの数値は上がってきているものの、全然基準値には届かず。
そして肺炎から肺水腫を起こしかけている状態でした。
酸素室の前まで行くとぐったりして身体全体で呼吸をしているナナ。
目を少しこちらに向けると、何と身体を起こしておすわりの体勢に。
これにはわたしも先生もびっくり。
耳が聞こえないナナのために少しマスクを外して「頑張ってね。また明日来るからね。元気になろうね」と口パクで伝えました。
ナナはその間ずっとわたしの顔を見ていました。
運命の電話
翌日。
午後診まで時間があったので、少し家の中の片付けをして一息ついたところで着信。
ディスプレイには病院の名前が。
嫌な予感がしながらも通話ボタンを押すと、先生が少し暗い声で話し始めました。
「ナナちゃん、先程亡くなってしまいました」
そこからわたしはどう返事をしたのか記憶はあやふやです。
午前中の血液検査の数値は良くなっていて、アルブミンに至っては正常値まで上がっていたこと。
苦しんで亡くなったわけではなく、本当にすうっと眠るように亡くなったこと。
夕方にお迎えに行くことを約束して電話を切りました。
一人で泣きました。泣き叫んだという表現の方が正しいのかもしれません。
ただただ悲しくて、寂しくて、辛かった。
やっと家に帰れたね
病院へお迎えに行くと、かわいい白いチョーカーを着けてもらったナナが居ました。
いつものように寝ているような姿で、本当に死んでしまったのかと触れてみると冷たくて。
先生は「本当に頑張ってくれたんですよ」と言いながらナナをずっと撫でてくれていました。
この先生にお願いして良かったと、最期看取ってくれたのがこの先生で本当に良かったと思いました。
家に帰ると何故かナナの傍からずっとハチが離れなくて。
寄り添って寝たり、チューしてみたり。
仲良かったもんね、とわたしもオットも引き離すことなく好きにさせてあげました。
クロは少し匂いを嗅いで、不思議そうな顔。
火葬は翌日にして、最後はみんなでいつもと変わらない夜を過ごしました。
しんみりするのはきっとナナも望んでいないでしょうし。
お別れの日
朝。
霊園まで連れて行く前にハチに「ナナにお別れしようね」と言うと、ハチが大きい声で「ウォン!」とひと吠え。
これにはわたしもオットも驚きました。
だって普段は絶対に吠えないのに。
お別れの言葉だったのか、連れて行かないでだったのか。
霊園でナナの身体とお別れをし、お骨上げもさせてもらいました。
背中の部分が青くなっていたのですが、どうやら点滴をしていた子はそういう色になってしまうらしいです。
あと、やっぱり肺や心臓の辺りの骨はボロボロでした。
どっちもナナの頑張った証。
ぽっかり穴があいた状態
亡くなった日から明日で一週間。
いつも通りの生活を送ろうと頑張ってはいますが、どうも空元気な気がして。
遺影やデータフォルダを見るたびに目が潤みます。
あと2~3ヶ月で引っ越しがあるので、一緒に新しい家に行きたかったなあとか。
もっと早く病院に連れて行ってあげれば助かったのかなあとか。
入院させたことに後悔はありませんが、こういう後悔は毎日しています。
死に立ち会うということは必ず後悔が伴うものだとは思っていますが、やっぱり避けて通れないものでした。
15年。
本当に人としてどうなんだって生活を送っていたわたしを少しまともにしてくれたナナ。
犬と暮らすことの大変さと素晴らしさを最初に教えてくれたナナ。
いっぱいの思い出と愛をくれました。
母親のようで、娘のようで、親友のようで、相棒のような。
本当に大好きでしたし、今でも大好きです。そしてこれからも。
ちょっと色々不安定になってしまうところもあるとは思いますが、四十九日が終わる頃には涙流すことなく遺影もデータフォルダも見れるようになっていればなと思います。
長い間一緒にいてくれてありがとう。
生まれ変わってもまた家族になろうね。
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